しかし声がけしたご近所は畑や田んぼやお彼岸の準備など自分の家の仕事が忙しく「今日は無理」ということで、また隣家のご主人も風邪をこじらせて「これから病院に行く」ということで、結局今日暇なのは私の家だけ。それでも何とかなるだろうと、我が家3人でスコップと鍬と一輪車を持ち出してイヌマキの植え付けを開始しました。
杭間は175cm、そこに4本の苗木を定植します。ということは植木算で苗木の間隔は175を5で割って35cm。ということで35cmの尺棒を作って杭間に穴の位置をマーキングするとマークが5つ付いてしまいました。そうです。5で割るのではなく4で割るのが正解でした。
70本のイヌマキの苗木を植え付け終えて、次は横に渡した真竹に苗木を結束して行きます。最後にたっぷりの水を掛けて棒で植え付け部の隙間を埋めて、遂に隣家の新しい境界部にイヌマキの生垣が姿を表しました。病院から帰ってきた隣家御当主もこの出来栄えにニッコリ。苗木の代金ももらい、これでリンクセットバック支援は、市役所へのセットバック申請や法務局への登記申請などの手続きを残すものの、体力勝負の支援はほぼ完了しました
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自宅作業部屋(一階の和室)の洋タンスなどの断捨離作業をしていた時、5センチ長の細長い石が出てきました(写真の上部中央に置いてある石)。これは間違いなく長野県川上村の甲武信鉱山で採集した方解石です。方解石は珍しいものでは無く、甲武信鉱山をはじめあちこちの鉱山で普通に見つかる鉱物ですが、細長い方解石は珍しいので、なんとなく作業部屋の隅で生息していたものと思われます。
甲武信鉱山は珍しい水晶(日本式双晶、巨大水晶、緑水晶、両極水晶、松茸水晶、針入り水晶)が採れる産地として人気のあるところでした。水晶以外にも色々な鉱物が採集でき、それらの採集品をまとめて一つのブリキ缶に入れて保存したはずです。そのブリキ缶を探し出して、迷子状態で見つかった細長い方解石を収納しようというのが気になっていたことの内容です。
二階クロゼットに押し込んである沢山のお菓子箱の中から記憶にある黄色のブリキ缶を引っ張り出して来ました。この缶は甲武信鉱山の採集鉱物が入っているはずです。蓋を開けてみると、中は仕切りで10の区画に分けられていて、その中に方解石の区画もありました。方解石はマッチ箱をひしゃげたイメージがありますが、それは劈開したもので、お菓子箱にある方解石は自生のままの形でちょっと珍しいものです。今回出てきた細長い方解石はこの珍しい自生方解石と一緒の区画に収まり、一件落着となりました。
ちなみにブリキ缶に収まっていた他の採集鉱物は、砒鉄鉱(葉状)、灰鉄柘榴石、曹柱石、ミニ日本式双晶、灰鉄輝石、鉄へスティング閃石、べスプ石、灰重石。どれも見た目はいまいちです。この石たちはこれからどうなるほか、不安です
(上列中央の仕切りの上にあるのが今回出てきた細長い方解石。その下が方解石の収納区画。)
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共同墓地に繋がる山道を4軒の家の人が各々色々な道具を持って登って来ます。私はレーキとデルターフォーと鍬に墓石洗いの水が入ったバケツを持って登って来ました。獅子柚子のお婆さんの隣家からはその息子さんが背負式の噴霧器を背負って登って来ました。その噴霧器には3メートル近くある筒が付いています。エンジンをかけると筒の先から勢いよくエアが吹き出しました。筒先を境内に溜まっている落ち葉に向けると一瞬で境内の外まで吹き飛んで行きます。筒先を側溝に向けると側溝に溜まった落ち葉もあっという間に掻き出されました。共同部分の掃除はあっという間に終わり、各自各家の墓石の雑巾を使っての作業に入りました。
100年は続いている共同墓地の共同掃除も文明の力がいよいよ登場して、これには墓地のご先祖様もびっくりポンだとおもいます。
そのお墓掃除の最中に、隣家セットバック支援の生垣用のイヌマキの入手をお願いしていた炭焼研究会のOさんから「イヌマキの用意が出来た」との待望のメールが届きました。急遽お墓掃除が終わったら大渋滞のなか町田にトンボ帰ることにしました。
今日の中心行事は「彼岸前の共同お墓掃除の一日」ということでしょうが、気持ちの上では、そして労力の上でも「左膝処置後の軽トラ運転7時間の一日」となりました。疲れました
(写真の新兵器が登場して、共同掃除の作業内容が一変。)
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義母は、検査の結果は前回からの悪化は無いということで、その後の墓参りも晴天に恵まれ大吉の一日になりました。一方私はどうだったかというと、検査の結果は、加齢により膝軟骨が薄くなっているが骨などには問題はないということで、太い注射で溜まった水を抜き、そのあとヒアルロン酸を注入するというものでした。これで痛みが引くかどうかは分かりませんが、痛みの原因は分かったので今日一日は小凶といったところだと思いますが、春がそこまで来ている、ちょっと雪が残る晴天下の絶景の大山が見れたこともあり、小凶改め小吉の一日といたしましょう
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竹炭とヤーコンの力を信じて、そこに微力ながら私のお見舞い力を込めて、Mさん宅の玄関ポーチに段ボール箱を置いて来ました
(町田ツーリストギャラリーからは竹炭商品売り切れの電話が。しかし、Mさんへのお宅への配達を優先。)
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発注した種駒数は1000個。封を開けて駒を確かめると、まだしっかりしていて、駒打ちには問題無さそうです。
充電式ドリルに椎茸菌種専用のビットを取り付け、玉切りしたコナラの長手方向に10cm間隔、円周方向に5cm間隔で駒打ち用の穴を開けて行きます。開け終わったら、それを次工程の駒打ち工程に渡し、金槌で一つ一つ種駒を穴に打って行きます。
用意したホダ木は25本。小野路里山にはドリルのシュルシュルという音と駒を打つトントントンの音の二重奏がお昼過ぎまで響き渡りました
(小野路城山農場の椎茸種駒打ちの作業現場。手前: 穴開け工程、奥: 駒打ち工程。)
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午後雨の中、明日からの町田生活に必要なものを軽トラに積み込んで、最後に実家跡地を一回りして問題や忘れ物が無いか見回っていると、ミニ梅林の下の大量の董立ちした蕗の薹が目に留まりました。毎年立春から一週間程経った頃に芽吹きしたばかりの蕗の薹を探して早春の味覚の蕗味噌を作って味わって来ました。が、今年は体調、天候、日程など様々な要因が重なって蕗の薹の収穫のタイミングを逸してしまっています。
ダメ元で、董立ちした蕗の薹で蕗味噌を作ることにしました。
町田に持ち帰った董立ち蕗の薹は200g。旬の蕗の薹に比べると包丁で切った時の蕗の香り立ちが弱い気がします。そこで超弱火でねっとりさせて味わうことにします。ご飯の上に乗っかるのは明日の朝となります
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左膝に負荷を掛けないように少し左足を引き摺りながら実家キッチンガーデンの耕運の準備を始めました。先ずは牛糞堆肥を一輪車とレーキを使って均一に撒きます。次に苦土石灰20kgを物置長屋を運んできて、これもレーキを使って均一に撒きます。これでいよいよミニ耕運機の登場です。スイッチをオンにしてチョークを引いて、エンジン掛けロープを勢いよく引っ張りました。とその途端に右肩から悲鳴が。
この右肩の強烈でしかもなかなか引かない痛みのお陰で、キッチンガーデンほぼ全面を左足を引き摺ることなく耕運し終えました
(耕運し終わったキッチンガーデン。周辺には収穫するタイミングを逸した蕗の薹がたくさん。)
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隣家の入り口の左右に打った木杭はそれぞれ9本と10本。杭の間には4本の苗木を植え付けるので必要な苗木は植木算で32本+36本。予備2本を加えて70本を注文しました。
苗木の入荷を待つ間で出来る作業として、暫定的に形を付けた法面に土流れの防止用に竜の髭を移植することにしました。竜の髭は私の下宿農地の未開墾部に沢山あり、それを剥いで持って来て移植すれば材料費はゼロ。それを手弁当で移植します。
この作業、簡単なんですがどうも美的感覚が必要のようで、半分終わった後の感想として、先ずは法面の斜面をきちんと作るべきでした。それに植え付けの位置も均一にして、植え付ける龍の髭も均一にすれば見た目はグッと良くなったと思われます。が、繁茂してしまえば何とかなるだろうと、残り半分もこんな調子で作業を続けます
(竜の髭の移植第一弾を終えた南側法面。新道路地部に長男の重たい車が通ったと思われるわだちがついている。)
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一周忌法要の会場は従兄弟叔父の家の菩提寺。近い親族だけの法要に加えて頂きました。本堂に入ると正面に分厚い綿頭巾を被ったふっくらしたお坊さん(多分日蓮聖人)が安置されています。我が家の旦那寺のご本尊の不動明王の厳しい顔と真逆です。しかし、どちらも大慈悲の表現ということなのでしょう。
配置されている椅子の上に小冊子が載っていました。中を捲ると妙法蓮華経方便品第二と如来寿量品第十六と2つのお経が載っています。法要が始まり、御住職から「皆さんでお唱えしましょう」と声が掛かりました。ご親族の方々はこの状況に親しんでいるようで、本堂は法華経の合唱が響き始めました。私はというと、いつもの旦那寺で聴いてるお経とかなり違う雰囲気にちょっとびっくり。そんな状態で小冊子の経文を目で追っていく途中、「諸法実相」なる四文字を見つけました。これは旦那寺のお経でお馴染みの般若心経に出て来る「諸法空相」と真逆の意味のような気がします。しかしこれもどちらかが方便。仏の深遠な世界では共に真理を表しているのでしょう。
我に帰って、急いでお経の文字を追いかけました
(ご住職に卒塔婆をお願いするのを忘れてしまい、反省。)
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実家キッチンガーデンに戻って残っていた里芋の収穫も終えました。あとは草刈りと牛糞堆肥を撒けばミニ耕運機の登場となります。
一休みして、遅ればせながら毎年行って来た蕗味噌作りをしようと銀杏林に蕗の薹を採りに来ると、鈴なりの椎茸ホダ木が目に入りました。雨の日が続いたこともあって一斉に大きな傘を広げています。さてこれをどうするか。昨年の秋からの大豊作で干し椎茸は何百個も有り、干しても仕舞う所が有りません。
取り敢えず大きなのを一つ収穫して、一時帰国している姉と2人で焼いて食べながら、今後の対応を考えることにします。
蕗の薹の収穫、椎茸問題の発生で、すっかり忘れてしまいました
(左側一列は昨年春に植菌したホダ木で、収穫開始は今秋から。)
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見事、ビッグマックに歯形を残こすことが出来ました
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キッチンガーデンには昨日鹿野山の麓の牛舎で購入し運んで来た牛糞堆肥軽トラ2杯分が左右2ヶ所に山積みになっています。これを圃場全面に撒いて、町田城山農場から戻って来たミニ耕運機を使って耕運したいのですが、それにはまだ圃場に残っているジャガイモ2畝と里芋2畝を掘り上げないといけません。
ジャガイモの畝らしいところにスコップを刺してじゃがいもの探索を始めました。しかし土は昨日からの雨水をたっぷり吸っていて、ものすごい重さに感じます。掘り上げたならばその土を手でほぐし、上手く行くと中からジャガイモが泥団子状態で見つかります。
潮干狩りの様なジャガイモ掘り、延々と午後いっぱい続きました
(圃場の左右に昨日牛糞まみれになりながら運び込んだ牛糞堆肥。)
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抜歯に掛かった時間はほぼ1時間、思っていた以上に大変な治療で、抜歯するだけでも掛かり付けの糖尿病専門医の承諾を取る手続きがもとめられたことに納得しました。
前歯の治療はあと2回処置後の様子を見てもらうと一旦終了し、糖尿病指標(ヘモグロビンa1c)の値を改善出来るかどうかを見守ることになります。
これで気持ちに少し余裕ができそうなので、次の治療を始めようかと思うのですが、痛いところは肘、膝、肩、腰、指とよりどりみどり。順番が付けられない気がします
(歯科クリニックの治療室に向かうところで写真一枚。)
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この凶悪犯人は誰か。飛び散ったカリカリを片付けて、長板にネジ止めしたトレイをマシンから出てくるカリカリを上手く受ける位置に調整していると、何やら鋭い視線を感じました。
物置長屋の引き戸に設けたネコ窓からスモーキーが片目だけでカリカリマシンを再セットしている私をじっと見ています。これは犯人の目か、被害者の目か。
微妙です
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私の左膝の痛みは相変わらずで、膝を深く曲げる動作は出来そうも無いのですが、炭の出来具合は気になるので炭出し作業に顔を出すことにしました。
炭焼き窯場にはいつものメンバーが集まり、早速2つのドラム缶窯から焼き上がった炭が出されました。炭は比較的曲がりが無く、燃焼して白く灰になってしまった部分も少なく、出来上がりは上々の様です。研究員の顔が和らぎました。私も自作の薄板鉄板が上手く炭を乗っけて搬出出来たのを見て一安心です
(テスターで様々な部位の電気抵抗を測定。)
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コースごとに修了者の名前が呼び上げられ、立ち上がります。当に学校の卒業式のような感じです。が、違うところが一つ。クラスが上がる毎に修了生の数がどんどん減って行きます。講習についていけない受講生が去って行くことが分かります。私の受講の入門クラス(夜の部)は当初51名、今日修了したのは36名。頭の記憶の栓が抜けている高齢者は何とかその36名に潜り込むことが出来ました。
修了式の後は担当して頂いた講師(聾者)とアシスタントの方々を交えての食事会が有り、一年間の勉強の成果をみんなで喜びました。そして「皆さん次の基礎クラスでお会いしましょう。」との締めの言葉で食事会はお開きとなりました。
来季手話基礎クラス、申し込むことにします
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朝起きると左足は昨日よりひどく痛み、左足に体重が掛けられません。今日は農の会の個人圃場で冬野菜の撤収と堆肥投入をやるつもりでいましたがとても無理。そこで横浜木遊びに、薄板2枚をボンドで接合させるために使っているクランプを外しに行き、ついでに左膝負傷の自慢話でもしてこようと自宅を出発しました。
木遊びに着き、二階に上がると、半年程前に木遊びを卒業したAさんが来ていました。幸兵衛管理人と忘れ物自慢をしています。Aさんは幸兵衛管理人に刃物を研いでもらおうと思って来たのに、その刃物を持ってくるのを忘れて来た様です。Aさんは鼻にチューブをさしていて、外出にも酸素吸引は不可欠とのことでした。この状況では私の膝の負傷は話しのネタになりそうもありません。
仕方ないのでいつものように作業台に付き、薄板二枚を挟んでいるクランプを外し、新たな薄板二枚接ぎの2セットをクランプでセットしました。今日の作業予定はこれだけだったのですが、せっかく横浜まで来たので、前回途中で辞めたアリ組みの練習の続きをやって帰ることにします
(前回鋸で切り出したアリ組み凹部をもう一枚の板にアリ組みの凸部切り出し用に罫書き写しているところ。)
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朝8時半までに屋外に出して置くようにとの指示に従い、上下二段の洋タンスを掃き出し窓からの搬出を試みます。下段は薄く難なく外に出すことが出来ました。しかし上段は頭の中で考えていた重さの倍近くの重量を感じます。それでも何とか窓から外に出し終えました。もし今回の断捨離を決意しなければこのタンスの自力での搬出は出来なくなるだろうと思います。
午後は銀行に行って生命保険の説明を受けに行きます。自分自身の断捨離も早めに決めていくことにします
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城山農場の1/4程の東側上段は大型耕運機からバトンタッチしたミニ耕運機が先週耕運し終えているので、今日は予定通りここにじゃがいもの植え付けを行います。
軽トラに積んできた種芋に使う芋は2種類あります。どちらもキタアカリですが、一つは2週間前実家キッチンガーデンで収穫して町田に運んで来たじゃがいも。もう一つは昨年7月に農の会のフェンス傍ミニ圃場で収穫して、自宅の作業部屋で箱に入ったまま今日まで残っていたじゃがいもで、実家キッチンガーデンでもう「一いもライフ」を過ごして来た前述のじゃがいもから見ると、叔父さん叔母さんに当たります。そのじゃがいもは箱の中で芽を出していて芋本体は少し萎んでいます。よく言えば半年を掛けて芽出しさせたじゃがいもということになります。
東側上段の圃場にじゃがいも植え付け用の溝を4本掘りました。その溝には元肥用に牛糞堆肥を入れ、軽く土を掛けてあります。4本の溝(畝)の内、南側2畝に実家から持って来た甥姪いもを、北側2畝には箱に入って芽を出している叔父叔母いもを植え付けました。甥姪いもは更に二つに分けて、南側1畝に大きないもを包丁で二つに割ったものを、北側1畝には少し小ぶりないもを割らずにまるごと植え付けました。
さて、どの畝がこの初夏に沢山収穫出来るでしょうか。今年の城山農場、叔父叔母対甥姪のじゃがいも対決から芽(目)が離せなません
備忘録
南側から
1畝目: 実家キッチンガーデンでこの冬収穫された大きな芋を半分に割いたいも 数35個
2畝目: 実家キッチンガーデンでこの冬収穫された比較的小芋を丸ごと使用 数38個
3畝目: 自宅で箱に保存されていた昨年7月に収穫した、芽出しのいも 数32個
4畝目: 同上 数31個
(右2畝: すでに芽が沢山出ている叔父叔母いも、左2畝: キッチンガーデンから来た甥姪いも)
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最後の講義は指文字のテスト。先々週の各自のスピーチで指文字が間違った人が私も含めて続出したので、復習しようということです。
私も指文字が苦手、というか手話全体が今だに離陸出来ない状態です。そんな中指文字テストが始まりました。最初の問題は「オルゴール」、次は「ジテンシャ」。「ャ」のような小さい文字(拗音、そく音)は「ヤ」の指をしてその形のまま体の方に指を引いて来ます。「ラッカセイ」、ここにも小さい文字の「ッ」。順調にクリアして、7番目の問題になり、初めは「デ」次は「イ」。しかし先生の手はそれを手前に引いています。私は手話の指文字の小さい文字は「ッ」「ャ」「ュ」「ョ」の4つしかないと決めつけていたようで、この先生の手にびっくり。
そのためか回答用紙には「デイズニーランド」となっていました。他にも小さい指文字がまだありそうだと気づいたところで最後の手話入門コースの授業が終わりました
(教材の指文字表。左端2段の箱に拗音とそく音の4文字(のみのような)記述の説明があり)
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木遊びの材木置き場を見るとブラックチェリーの長板が一枚あります。これを2枚に割いて薄板にしてそれを接いで外箱の部材にする方針で作業を開始しました。2枚に割いて面を一旦平面にしたところで板厚は12mm。これをビスケットジョイントという方法で2枚を接ぎます。接いた後でまた面出しするので、仕上がりの板厚は精々11mm。下手をすると10mmです。まあアリ組みの練習のつもりで前に進むことにします
(天板、側板2枚、底板の計4枚の外箱の部材を用意しているところ。割く際の熱で反りがひどい。)
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ネットでe-Taxを検索して開くと、画面が昨年と違います。「Google Chrome 及び最新のMicrosoft Edge からのご利用に当たっては、ChromeウェブストアからChrome拡張機能「e-TaxAP」をダウンロードする必要があります。」とあります。昨年と同じようにやりたいので「拡張機能」とかは要らないという選択をしたいのですが、そんな選択ボタンはありません。仕方無くそのアプリのダウンロード画面まで進むと、そのアプリの評価は1.3。ほぼ最低のアプリの様です。とは言っても私には他の選択肢を選ぶような知識も無いので「e-TaxAP」なるアプリをダウンロードして、令和5年の申告書の作成を始めました。
いつもの様に医療費控除の入力は大変でしたが、特段困ること無く申告書を記入し終え、送信も完了。何故評価が低いのかも分からないうちにアナログ高齢者の確定申告は終わりました
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早めのお昼で気を入れ替えて、ジャガイモの植え付け準備に掛かります。東側上段圃場で8回目の草木灰作りの焚き火を行い、牛糞堆肥を一輪車で運び、両者をレーキを使って圃場いっぱいに広げて耕運準備が完了したところで、サイクルハウスからミニ耕運機を動かして来ました。今日がこのミニ耕運機の圃場デビューの日。先代が見守る中小さい耕運機が小さな音を立てながら少しずつ前に進んでいきます。大型耕運機では一回の行き来で終わってしまうところを3回は往復しないと行けません。が、時間のかかるミニ耕運機は暇つぶしの高齢者には申し分の無い相棒になってくれそうです
(圃場左はまだ残っているヤーコン15株。軽トラの後ろには先週用意した椎茸用のホダ木と牛糞堆肥。)
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昨日図書館で新本と交換して我が家に戻って来た、水に浸して少し皺が出来た元図書館本の「なぜ宇宙は存在するのか」は昨夜のうちに兎に角最後まで読んでみることにしたので、今朝は竹炭ラベルを貼りながらも頭の中は宇宙の広さに負けないくらい疑問の暗黒星雲が広がっています。
シール貼り中は本は読めないので代わりにYTubeで宇宙物を聴くことにして、しばらく聴いていると、H原子とHeはビッグバンの時にでき、それより重たい原子はビッグバン以降に出来た恒星の核で出来、それが爆発で宇宙に散らばり、あるものはまた恒星になってまた爆発、それらの一部で銀河系宇宙が出来て太陽系が出来て地球が出来たということだそうです。とするとその続きでこの数年前にその一部が小野路の竹になり、この冬その竹の中の炭素だけが濃縮されて今作業台の上の炭になったことになります。
竹炭シールには生産者として小野路炭焼研究会とありますが、「宇宙/小野路炭焼研究会の共作」に変えた方が良いのではと一瞬思いました
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その本は「なぜ宇宙は存在するか」という本で、世界最高峰の宇宙物理学の先生が知識の浅い人にも分かりやすく宇宙を紹介しているという評判を聞いて、図書館で借りることにした本です。実際読み始めてみると、非常に分かりやすく丁寧に検討された文章であることは実感するのですが、それでも私の頭では前に読み進むハードルが高過ぎて、途中振り出しに戻って読み返すこと数回。そんな中でのトラブルでした。この本は私が借りる前からだいぶ傷んでいて、私が借りる前のそれぞれの読者も一気に読み終えることは無く、それが本の傷みに繋がったのではと勝手に解釈しました。
半分も読んでいない本を一旦図書館に返却する直前、最後のページをめくって斜め読みすると「諸行無常」という言葉が目に入りました。宇宙は諸行無常のようなものということがこの本を読み終わると感じられるのかも知れません。図書館で交換した手元に残った古本、これも何かのご縁。大切にして繰り返し読み、最後の諸行無常を感じ取りたいと思います。
半分程読んだところでの感じでは「諸行無常 except 梵」のような気もします
(水に浸けてしまった本の代わりに購入した新本)
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今日は雨。午後4時に銀行に行くのでそれまで何をするか。考えているとツーリストギャラリーから竹のカトラリーの納品依頼がありました。自宅作業部屋にあるカトラリー作り材料と道具一式が入っている箱を開けると、残念ながら各カトラリー作りの元となる孟宗竹を糸鋸で型取りした竹材が有りません。カトラリー作りを始めた頃は自宅に電動糸鋸を持っていたのですが、横浜木遊びに行けば使えるので廃棄してしまっています。
万事休すと言うところですが、糸鋸の型取り工程を経ないで作ることが出来るカトラリーが1つだけあります。それは最近販売を始めた菜箸。自宅作業部屋に置いてある孟宗竹と道具だけで作り上げることができます。工程は、
孟宗竹を菜箸長に輪切りする (鋸)
輪切りを菜箸幅の角材に割く (竹細工用の鉈)
角材から箸状の細長い四角錐を削り出す (鉋と四角の溝の治具)
四角錐を面取りする (鉋と三角の溝の治具)
*オプション: 紐を通す穴を開ける (充電式ドリルドライバー)
(左: 四角の溝の治具、右: 三角の溝の面取り用の治具)
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垂直に伸びたコナラの木を周囲の木に引っ掛からない方向約30度の角度の中でコントロール良く倒すことが出来ました。篠竹などの下草は刈ってあるので足場が良く、90cm長の玉切りも完了。ここまでは想定通り。次は玉切りを城山農場に運びます。径20cmほどの玉切り一本抱えようとしたところ、昨年までは難なく持ち上げられたものが持ち上がりません。しかしこれも想定内。前回の雑木林の下草刈り作業で、城山農場に向けた方向部分を刈り取ってあり、玉切りのコナラを転ばすことが出来る様にしてあります。雑木林と城山農場の間には細いながら舗装された里道があり、そこに刈り取った篠竹を敷いて、玉切りが傷まないようにして玉切りを転げ落とします。上手く行くと玉切りは里道を横断するように転がり城山農場の敷地の中に転がってきます。
一本のコナラから太さはバラバラながら30本のホダ木が取れ、城山農場内に積み上げることが出来ました。次回の作業はいよいよ植菌です
(篠竹を敷いた里道に玉切りを転がし落とすところ。手前は城山農場の敷地。)
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一昨日届いたミニ耕運機とその乗り降りに使うブリッジを乗せると軽トラの荷台の残りスペースは僅かです。そこにホダ木の準備に使うチェーソー2台と目立て道具などの備品一箱と充電式ドリル一式、それに竹細工用の小刀や鉈類を乗っけました。さらに狭くなった荷台に種芋用のジャガイモと白菜やキャベツなどキッチンガーデンでの収穫野菜を押し込んで、これで出発準備が完了しました。目指すは今日からミニ耕運機の仮宿となる町田城山農場のサイクルハウス。紅梅と白梅、それに河津桜がお見送りです
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夕方までに何とかカーブしている木杭に真竹を渡し終え、法面で余った土砂を一輪車で撤去して、間口全域に渡って生垣の姿(植樹前)がほぼ現れました。「ほぼ」となっているは、木杭に横渡しの真竹を縛るやり方が当初予定のシュロ縄を使った男結びになっていないからで、昨日から実家の生垣補修時に使ったショロ縄の残りを探しているのですが見つからず、今日は暫定的に麻縄で縛ってあります。高齢者の作業は常に探し物のとの戦いです。
宿題になっていたカーブしている木杭に真竹を渡すやり方については、「曲がった真竹を山から切り出してくる」というアイデアを選択しました。この選択のため、再度川向こうの山に行って、曲がった竹を6本探し、作業現場まで引き摺って来ました。
セットバック前の垣根に残っていた木樹の撤去から始めてほぼ4か月掛かって、ようやく拡張された部分が道路と認識出来る状態になりました。これで五合目くらいだと思います
(拡張部はまだデコボコですが、当面車で通ることで土を固める予定。)
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昨日、実家の町の老舗の農機具店に、町田城山農場の大型耕運機が直らなかった場合に備えて、新たな耕運機の相場情報を仕入れるつもりで行ったところ、店先にこのミニ耕運機が展示されていました。店長によれば、一週間前にミニ耕運機を一台販売し、その際に下取りした品物ということで、オーバーホールして展示したばかりということでした。更に小さい耕運機は動かなくなるまで使うのが一般的で、そのため年式の新しい中古品は滅多に出ないということでした。
これも何かのご縁、即決し、今朝の納品となりました。「幸運機」になってくれる予感がします
(次週このミニ耕運機は我が家の軽トラに載ってアクアラインを渡り、町田城山農場で初仕事する予定。)
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隣家セットバック支援は本日は休みとして、キッチンガーデンのジャガイモを収穫をすることにしました。ここで収穫したジャガイモは、今度は町田城山農場で春のお彼岸までに植え付けます。ジャガイモはトマトや茄子などの夏の主力野菜と同じナス科で連作が出来ません。そのためジャガイモは春と秋の植え付けごとにジプシーの様に圃場を渡り歩いて行きます。
ぺんぺん草と仏の座で覆われた畑でジャガイモを探し始めました。畝の大体のところに竹串が刺してあるのでおおよその位置は分かりますが、株の位置までは分からず、スコップで掘ることが出来ません。モグラの様なジャガイモの探索作業を続けること1時間、ペール缶で2/3程、数にして80個ほどのジャガイモが取れました。種芋はこれで十分。残りは春の自家消費用に役立ってもらいます
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気合いだけでは知恵は出そうもなく、結局ここは飛ばして、残り半分の入口の南側の生垣再構築の土方作業に掛かりました。先ずは真竹を10本を山から切り出して来ます。10往復合計で6Km、その半分の距離は切った竹を引き摺ってくるので、この作業には気合いが欠かせません。それが終わって息抜きにホームセンターで木杭9本を購入。午後の作業は等間隔に9本の木杭を刺す穴をドリルを使って掘り、そこに杭を並べて大きな木槌で叩き込みます。
生垣全体の木杭19本の杭打ちが終わりました。都合良くちょうど日没。気合いを入れた丸一日の土方作業が終わりました。どうやってカーブした杭に竹を渡すかは次回までの宿題と致しましょう
(新しい生垣の位置に木杭が並び、直線部だけ杭に真竹を渡し終わったところ)
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治具に沿わせて斜めの切り込みを入れることは直ぐに出来るようになりました。ポイントは切り込みを入れるところに如何に精度良く罫書き線が引けるかということと、鋸のアサリを考えて、罫書き線からどの位ずらしてノコを引くかのコツを覚えることの2つ。これはかなり練習が必要な感じがします。
練習用の板に3つ目のアリの凹の切り込みを入れる位置に治具をセットしている時に、前回治具に書いて76°の文字と13年前木工を習い始めた時に購入した鋸の尻に書いた文字(名前)が目に入りました。13年経っても下手な文字は変わらず。木工の腕の上達もまあこんなものだなと思はざるを得ません
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手話単語は少しずつ増えている実感はあるのですが、聾者に通じる文章を組むにはまだ足らないものだらけで、果たしてこのスピーチ文の内容が私の手話で通じるかどうか。講習会は夜7時からです。それまでの間、もう一つの問題の、城山農場の耕運機のエンジン掛からない問題にチャレンジします
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今日は三連休ということで次男が援軍として加わり、城山農場で耕運の準備を進めます。草木灰作りは西圃場と中圃場分が終わっており、今日は最後の東圃場分を焼きます。幸か不幸か今年の小野路里山はナラ枯れのため枯れた枝が地表に沢山落ちており、焚き火の材料には事欠きません。
私は草木灰作りの焚き火は家内と次男に任せて、耕運機の始動の準備に掛かりました。先ずは畑の隅っこに置いてある耕運機を手で引っ張って、エンジンをかけるロープを引き易い体勢が取れるところまで移動させました。そしてガソリンを入れてチョークを引いていざロープを引っ張ると、ブルブルブルとエンジン音が鳴り響きました。すかさずチョークを戻してハンドルに付いているスロットルを上げたところ、ブルブルの音が段々と弱くなり、数秒後には止まってしまいました。それ以降ロープを引くことゆうに200回、しかしエンジンは掛かりませんでした。プラグを拭いてやってもダメでした。
高齢者による高齢耕運機の介護は難しそうです。今日は草木灰作りが終わったところで城山農場を引き揚げることにしました。さて明日はどうするか、ピンチです
(次男の若い力でロープを引いてもエンジンは掛からず。)
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空いたところに燻炭装置(燻炭君)を置き、その周りに横浜木遊びから運んできたおが屑を広げます。煙突を中心に円錐状におが屑の山が出来ました。燻炭君の煙突から火種となる杉の枯葉を入れると、徐々に煙突から煙が上がり始めました。今日は炭焼き終了予定時間は夜6時半。それまでのんびりと、十能という名前の小さいシャベルを使っておが屑が満遍なく炭化するようにお世話して、一日を過ごします
(竹割り作業隊の傍で燻炭作りを行う。手前は暖を取るための焚き火。)
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パイ生地にヤーコンのフィリングを乗せて、オーブンで焼いたその味は、「美味しい」の一言です。アップルパイと比べてりんごの酸味分の尖ったところが無く、りんごのグニャとした食感がもう少し上品な方向に締まったとでも言いましょうか、少なくともこれが不味いと感じる人はいないでしょう。
世紀の、いや有史以来の大発見をした一日となりました
<備忘録>
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その内の一つの「竹のバターナイフ」、これもそこそこ買って頂いているのですが、どう使われているか疑問に思っていました。何故ならば、我が家ではバターにはステンレス製の小さなスプーンを使っていて、自作の竹のバターナイフを使っていないからで、竹のバターナイフはもっぱらマーガリンに使っています。
竹のバターナイフは固まったバターを取り分けるには幾らか非力でバターの塊に刺さりにくいところがあります。一方でマーガリンに対してはその問題が無く、しかも容器の中に入れっぱなしができます。竹製は金属製に対し圧倒的に軽いので、容器内のマーガリンが無くなってもナイフの重さで容器がひっくり返ることが有りません。
今の竹のナイフは金属製のナイフと同等の長さで作って来ましたが、マーガリン用と割り切ると(容器に入れっぱなし)、この柄の長さが少し邪魔で、短くしても機能的問題は無く、短くすることで冷蔵庫内での収納性が向上します。
ということで竹のバターナイフは「竹のマーガリンナイフ」と名称変更して、柄を1cmほど短いサイズに変更することになりました
(マーガリンの容器に並ぶ新旧の竹のナイフ。上が柄の短いマーガリンナイフ。)
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背は低くそして全体的に調和していて、日頃使うものを収納しやすいリビングボードなるものを作る、これが私の木の時代の締めくくりになるといいなと思います。この製作の過程で、練習を兼ねて実家の町の暫定新居用の小さなテレビボードを一つ作ります。
このリビングボードの家具たちは基本その上に物を置かないことを想定するので、組み方は私の箱物作りの定番のホゾでも留め継ぎでも無く、見た目が如何にも手作り家具らしいアリ組みで作っていくことに決めています。とはいうものの私がアリ組みで箱物を作ったことははるか10年前が最後、全く忘れてしまっています。
今日は横浜木遊びで、アリ組み木工の再開の儀式のようなアリ組みの仕口加工用の治具を作りました。当初はアリの角度を12度と14度と角度の異なる2種類(AとB)の治具を作ることにしていましたが、出来上がったものは、途中ボーとしていたためか両方とも14度になっていました。これは14度のアリで作るようにと木工の神様のご指示でしょう
(アリ溝の左右壁面を鋸で切っていく時のガイドとなる左右一対のアリ組みの治具。角度は14度に決まり。)
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隣家御当主との話し合いで、生垣は私が実家の生垣を修復した同じ構造がいいということなので、木杭を等間隔で打ってそこに真竹を上下2本渡して生垣の骨格をつくり、イヌマキの若木を真竹2本に結束固定する構造に決まりました。
隣家は入り口を除いて間口は約30m、そこに素人が生垣を作ります。木杭の本数は19本。今日はその半数の10本をホームセンターで購入。160cm間隔で木杭をさして、高さをそろえて打込みます。木杭の作業が終わったら、今度は横に渡す真竹を調達します。川向こうの竹林に行って真竹を切り、それを300m程引き摺って隣家まで運んで来ました。それを木杭に、2本の真竹が上下平行になるように縛り付けるとイヌマキ無しの生垣の概観が現れました。
法面が未だ作っていないので見栄えはパッとしませんが、再構築する生垣の位置と概観が表れたことで、隣家御当主も安心されたように思います。私も土方遊びを満喫しました
(木杭の間に竹杭3本を挿してはどうかとの案が出て、一箇所だけやってみたところ。)
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著者は若いインド仏教の研究員で、この本は現在の「歴史のブッダ」像は、明治以降の(東京帝大等の)研究で、神格化されたブッダ像から神話的・空想的な部分を除くだけで無く、現在人の価値観を持ち込んで、現在でも通じる平和平等主義者に仕立てられていることを、方法論を明確にした上で明らかにしています。その上で真のブッダの先駆性を導いています。これは東京帝大・東大を頂点とするインド仏教学・哲学に公然と批判する痛快な秀作だと、私のような素人でも感じることが出来ます。
問題のあとがきはこの喧嘩に油を注ぐような記述です。この本の一つ前の清水氏の著作本が出版される過程で、東大教授の馬場紀寿氏から版元に出版妨害があったことが、この本のあとがきに記載されています。更に馬場氏の恩師から、大学教職に就きたければ出版をやめろ、と脅迫されたとも書いてあります。
残念ながら私はこの喧嘩の中身について自分なりの考えを持つ知識も知力もありません。が、清水先生の研究は日本人がもう少しまともに仏教を捉える機会をもたらしてくれる、そんな可能性を感じます。とは言っても、戒名ビジネスに代わるもう少しまともなお寺の経営モデルがあと11年(4000日)以内に生み出されるか・・・。やはり無理でしょうか。
いずれにしても清水氏が潰されることなく、次の研究成果が出版され、我々が読む機会があることを切に希望します
(数回読んだためにだいぶ痛んでしまった「ブッダという男」)
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キッチンガーデンにはまだキャベツ、白菜、ブロッコリー、カリフラワーのほか、小蕪、小松菜、菜花、ジャガイモ、里芋、それに柚子が残っていました。
カリフラワーとブロッコリー、小松菜、菜花はそのままでは持ちが悪いので茹でて保存することにしましたが、巨大カリフラワー3個分は想像以上に量が多く、細かく切るとご飯に似ているカリフラワーが当分主食になることが予想されます
(一個目のカリフラワーを茹で、2個目を分けたところ。もう一個巨大なカリフラワーが野菜籠に。)
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残りの作業を確認すると、
・セットバックしてもらう位置を隣家御当主と再確認して、生垣再構築の場所を決める
・その位置に暫定的な法面を形成する
・竹垣作りに必要な木杭と真竹を入手し、搬送してくる
・竹垣を作る
・生垣にするイヌマキを購入し搬送してくる
・植樹に使う堆肥を入手してくる
・植樹して結束、竹垣・竹垣を完成させる
・法面の土留め(方法未定)をする
・市役所でセットバックに関する手続きを確認する
・セットバック部分の分筆を最低価格でするやり方を検討する
・分筆申請書類を用意して、法務局で分筆の登記を行う
・上記の作業の間セットバック部の整地を随時行い、行政による公用道路としての管理開始を促進する
ざっとこんな所が想定出来る項目です。
今日はこのうちの竹垣作りに使う真竹の伐採の了解を貰いに、真竹林を持っている小学校の同級生のまこちゃんのお宅に行きます。
途中、下宿農地をそばを通過。今年もここを耕作してくれる人は見つかっていません。隣家を支援している余裕が私には全くない現実が頭に一気に広がりました
(芝焼きの土地の向こう側が270平米の下宿農地。芝焼きの土地の手前側70平米も我が家の地所。)
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りんごの幾らかをヤーコンに置き換えてみるというアイデアです。
料理や瓶詰め保存食品作りは少々自信があるのですが、ケーキやお菓子作りは全くダメ。そこで家内にヤーコンパイを作ってもらうことにして、本日決行です。
りんごとヤーコンの割合は家内任せで、それに砂糖を入れて、そこにレモンの代わりに自産のライムの果汁を加えて煮ます。それをパイ生地に乗っけたところがこの写真。見た目は殆どりんごとヤーコンは区別がつきません。輪切りの中が更に白くなっているのがヤーコンです。
焼き上げて食してみると、本来単純な甘みしか味の無いヤーコンはりんごとライムの味がしみ込んで、シャキシャキ食感のりんごになっていました。全体として申し分のないパイになっているのです。が、「ヤーコンパイ」と呼べるポイントは食感のシャキシャキだけです。まあうなぎパイもこんなものかという気もします。
次回、パイの作り方が分かったのでりんご無しの正真正銘のヤーコンパイを作ってみます。さてどうなりますか。
(パイ生地に煮たりんごとヤーコンを乗せたところ。)
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城山農場とフットパスを挟んだ山林の地権者には既にホダ木用にコナラの木の伐採の承諾を頂いており、今日からホダ木調達の準備を始めます。準備としてやることは、山林の中でホダ木に丁度よくて、伐採時に周囲の木に引っ掛からない空間にあるコナラの木を決めること、その木の周囲の伐採木を搬出する際に邪魔になる雑木を刈ること、出来れば城山農場に近い所から搬出出来るように邪魔な雑木を伐採しておくことがあります。
昨日まで隣家セットバック支援で奮闘したチェーンソーは今日明日は小野路城山で活躍することになります。先ずはフットパス傍に生えている実生の杉の小木を伐採。このチェーンソーが有れば、生命エネルギーが下がった上にヘモグロビンa1c改善のため減量中の高齢者でも何とかなりそうです
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夜7時に会場に行くと、いつもと違う、5つの椅子が車座に配置されていて、4人の聴者(受講者)のところに1名の聾者が加わって手話会話をしようということでした。聾者の方は10名いて、十分単位で回って行きます。
私にとって聾者との会話は初の体験です。まず驚いたのは聾者の皆さんのコミュニケーションする力で、手話初心者の我々を手話会話に引き込んでくれます。ユーチューブなどで見る聾者は表情に独特の変顔を感じていましたが、実際の聾者の方の表情は素直で豊かでした。私のこれからの人生の手本にしようと思います
(事前に考えていた自己紹介文。この手話だけでは2時間は保たず。)
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今回の実家滞在の土方作業の最終日の今日、一つの残ったこの切り株をやっつけることにしました。目標は、根っこ全てを掘り上げることは断念し、切り株の面を20cm程切り下げて、切り株が表面に顔を出さない様にすることです。完全撤去ではありませんが、それでも大変な作業です。
前回の切り株撤去作業と今回の作業の違いは、前回は入り組んで土を含んだ根をチェーンソーで来るためにすぐ切れなくなってしまったことに対して、今回の作業は根っこを切るので無く、根っこ近くの幹を玉切りするような作業なので、幹についている土を切らないように作業することで、チェーンソーの目立て作業を少なくすることが出来る筈です
幹の表皮をバールを使って剥がし始めました。次にバールで剥がせなかった表皮部分の土をブラシを使って落とします。これでいよいよチェーンソーの出番です。
ほぼ輪切り状態の切り株上部が本体から切り離れました。残った切り株の上に土を戻せば、切り株撤去の工程が終わります。次はいよいよ生垣作りの前哨戦で、木杭と真竹を使った垣根作りに入ります
(セットバック対象域で一つ残った大きな切り株の頭を切り下げる作業に着手。)
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定刻10時半に集落のほぼ全ての家から人が集まりました。東に向かって平行に並ぶ畦道に人が適当に分散。火付け隊が出発します。田んぼ一枚の終わりの畦道の四つ角に来ると、一隊は南北に延びる畦道に散っていきます。あっという間に周囲は煙りに包まれました。周辺の集落からも火の手が上がり、町全体が煙に覆われています。
この行事、そもそも何のためにするのか、その根拠は最近の科学でも明確にはならないというニュースを見たことがあります。しかし老若男女の田んぼの火遊びの側面も有り、そう簡単に無くなることはないような気がします
(我が家の東側生垣の側道から火付け隊が出発して行くところ。)
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その土は隣家のセットバック作業で出来た残土の山から、隣家の了承を得て運んで来ます。使う道具はスコップと一輪車。筋トレというより荒行のような単純作業が始まりました
(6割ほど穴が埋まって来たところ。右には焼却を始めた掘り上げた根っこが見える。)
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私の根っこ掘り作業は午後も続けることとなり、一休みしていると、クロクロが実家敷地入り口から注意深く入って来るのが見えました。そこにどこからかスモーキーがクロクロの前5m程に現れ、箱座りしました。クロクロは一瞬驚き立ち止まりましたが、その後は微速前進、スモーキーの傍を通り抜ける方向に進み始めました。がスモーキーとの距離が2mほどになったところで面舵を切って、そのまま微速前進のまま、和算隣家の生垣の中にお能のような動きで立ち去って行きました。
3時になり、シロがまた稲荷さまの傍を通って根っこ掘りしている私の方に向かってトボトボ歩いてきました。午前中に置いたネコ食器にはまだ食べ残しがあるらしく、ネコ食器のところで止まり、ネコ食を食べ始めました。私は、もう一缶シロは食べるかと思い、物置長屋に行って、ネコ缶一つ持って根っこ掘り現場に戻ろうとすると、そこにはシロが居ます。シロが私の後をつけて来たと思いました。が、ちょっと違和感が。さっきまで汚れていたシロの顔がきれいになった感じがします。
私は顔がきれいになったシロの傍を通ってさっきの根っこ掘り現場に戻ると、そこにはネコ食器に顔をつっこんでもぐもぐしているさっきのシロが見えました。そこに物置長屋で見たきれいなシロがやって来ました。そのシロはネコ食を食べている汚れたシロを見つけて、元気よい挨拶のような鳴き声を上げて近づいていきます。食事中の汚れシロは顔を上げて軽い挨拶をしましたが、また食べ始めました。
そこに、シロの鳴き声で気付いたのか、スモーキーが威嚇の大声を出しながらやってきました。食事中の汚れシロは急いで退避、その場から居なくなりました。別のシロは反対に愛想のいい鳴き声を出してスモーキーに近づいていきます。が、スモーキーが突進し始めたので、きれいなシロも逃げ始めました。
そこに斜め前の隣家(花手水の花をいつも頂いている家)のご主人が現れました。白猫(愛想の良いきれいなシロ)を追いかけて来たようでした。花の隣家のご主人の話しでは、一週間前に、2年振りに(愛想のいいきれいな)シロが玄関の前に現れたので簡易宿泊箱と食事を提供したことで、さっき私の実家の方に出掛けたので後をつけて来たとのことででした。この白ネコは確かに2年前に突然現れ、その時も花の隣家を宿屋にして、私の実家にも現れ、いつも来るシロと違う白ネコが居ることがしばらく分からず混乱する事件が起きました。
今日一日で起きたネコ騒動はざっとこんなものですが、滅多に遭遇しないネコ同士が今日に限って何組も鉢合わせする、私にはとても偶然とは思えません。何か吉兆の御触れではないでしょうか
(シロを見つけて元気よく挨拶の鳴き声を上げながら近づいて行くシロシロ。)
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この抜根作業が難航している理由は、根が複雑に絡み合って土を巻き込んでいて、一本細い根を切ると刃が土を切るために全く切れなくなることにあります。その度に刃をヤスリを使って目立てする必要があります。
今日は、この「少し切っては目立てする」チェーンソーの使い方としては最悪な部類の作業を許容して作業することにします。使う道具はいつものチェーソーとバールとスコップ、それに今回はブラシが加わります。チェーンソーで切る前にブラシを根の周りに掛けて少しでも土を落とすようにします。
切り株との格闘を続けて、巨大な虫歯のような桜切り株の3/4ほどを占める大物を掘り上げることが出来ました。
工数分析をすると、
・スコップ等での根元の土掘り: 0.8
・チェーンソー刃の目立て: 0.19
ただし実感としては一日中刃の目立てをしていたような気分です
(今日の作業で掘り上げることが出来た写真の右側のむし歯状切り株)
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天然干し椎茸の天日干しは数日で十分のようで、保存瓶に移すことにします
(サイズ別に分けた即身成仏椎茸。例年に増して乾きが悪い鷹の爪も一緒に天日干し)
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昨年から体のあちこちが壊れてそれぞれの専門医に診てもらった結果、クレアチニン問題に対しては「過度の運動はしなこと」との指示が、糖尿病(ヘモグロビンa1c)問題に対しては「運動して体重を下げること」との指示が、肩の痛みに対しては「痛む動作はしないこと」との指示がありました。また一般的な老化対策として「筋肉を落とさない」ということがあります。
そこで畑で出来る筋トレメニューなるものを考えて見ました。避ける動作は右腕を体の後ろ側と真上に持って行かないことと無理な前屈み姿勢の2つ。その点を考慮して考えた今日の畑の筋トレメニューは次の3つ。トレーニングジムのメニューのように横文字で表すと、なんだか凄く効果のある運動メニューのような気がします。
・ヘビーデューティホースイング(Heavy-duty Hoe Swing、重量鍬振り)
・ブラシュキャリー(Brush Carry、枯れ枝運び)
・ピットディギング(Pit Digging、穴掘り)
(駐車スペース2平米程を使ってのHeavy-duty Hoe Swing筋肉トレーニング。)
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工作するのは、ドラム缶窯の中に敷く鉄板製の下敷きで、炭材を下敷きの上に詰め、焼き上がったら、下敷きごと炭を窯の中から引きずり出します。竹炭を焼き上がった状態で窯から搬出することができ、炭焼き研究には欠かせない道具になっています。
この引き摺り板作りに使う道具は金切り鋏で、毎年この時期(炭焼き休止時期)にこの作業のためだけに一回だけ使う道具です。先ずは一畳程の鉄板を二枚に切りました。作業時間は作業場の設置を含めてまだ20分程ですが、ここで一休み。囲炉裏に火を焚べて、それ程寒くは無いのですが暖を取ります。こういう季節ごとに手掛けるちょっとした宿題(軽作業)が私にとっては立派な歳時記の出来事。そんな作業が身の回りにあることに感謝です
(臨時鉄板加工工房。手前は昨年作って一年で穴が開いた引き摺り板。奥には囲炉裏の火。)
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とはいえ、この雨の日の実家で他にやることが見つかりません
(ちょっと本物の農家のミニ体験のような直売所販売。)
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いつもより厚手のコートを着て実家跡地に来ました。今日の作業はキッチンガーデンでの里芋の収穫と販売用の調整です。雨はほんの僅かですが、寒さは朝方よりひどくなってきたようで手が思うように動きません。それでも何とか里芋の収穫を終えました。
ミニ梅林に目を向けると、小梅の木の幾つかの枝に白い梅の花がついていました。大寒ながらここだけはちょっと春が来ている感じがします
(小梅がなる梅の木に白い花が咲き始めた。)
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今日は木遊びでその踏み固めに使う「人力転圧機」なる道具を作りました。
材料は重量ブロックのハーフ(半分サイズのもの)と檜の古い柱を割いて作った角棒2本と底板1枚だけ。底板の両端に取っ手となる角棒2本を直角にコーススレッドで留めて、その間に重量ブロックを乗せて、ブロックに開いている穴に短い角棒を差してその両端を左右取手棒にくっつけて、重量ブロックを固定して、転圧機の完成です
これをどう使うかというと、2本の取手棒のそれぞれを2つの手で持ち、持ち上げては地面に落とす動作を繰り返します。道具としては使用に耐えうるものが出来たと思いますが、問題は腰の痛い生命エネルギー問題を抱える高齢者がこの道具を使いこなせるか、さてどうなりますか
(はたして使い物になるか、木遊びで自作した人力転圧機。)
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