今日は自宅に戻る途中、自宅近くの整形外科に行くか、それとも横浜木遊びに寄って精神的リハビリするかの二択です。が、整形外科に行くとまたものすごい太い注射を刺されるのが目に見えており、それを思うと実際は一択でした。
木遊びでの今日のメニューは、前回ブラックチェリーの薄板2枚を接いだ薄板(領収書箱の骨格となる)を出来るだけ厚みを残すように平面出しする作業、それを天板、側板2枚、底板のそれぞれの所定サイズに裁断する作業、それが終わったら天板一枚の両端にアリ組の仕口の墨付けまでやることにします。
どの作業もしゃがんだり足を踏ん張ることが無い上、適当量の移動もあります。お昼はOKストアのソースカツ弁当でタンパク質を補給。膝を痛めた高齢者には最高のリハビリの一日となりました
(休憩がてら食台(雑談用テーブル)でアリ組みの墨付けを行っているところ。)
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しかし声がけしたご近所は畑や田んぼやお彼岸の準備など自分の家の仕事が忙しく「今日は無理」ということで、また隣家のご主人も風邪をこじらせて「これから病院に行く」ということで、結局今日暇なのは私の家だけ。それでも何とかなるだろうと、我が家3人でスコップと鍬と一輪車を持ち出してイヌマキの植え付けを開始しました。
杭間は175cm、そこに4本の苗木を定植します。ということは植木算で苗木の間隔は175を5で割って35cm。ということで35cmの尺棒を作って杭間に穴の位置をマーキングするとマークが5つ付いてしまいました。そうです。5で割るのではなく4で割るのが正解でした。
70本のイヌマキの苗木を植え付け終えて、次は横に渡した真竹に苗木を結束して行きます。最後にたっぷりの水を掛けて棒で植え付け部の隙間を埋めて、遂に隣家の新しい境界部にイヌマキの生垣が姿を表しました。病院から帰ってきた隣家御当主もこの出来栄えにニッコリ。苗木の代金ももらい、これでリンクセットバック支援は、市役所へのセットバック申請や法務局への登記申請などの手続きを残すものの、体力勝負の支援はほぼ完了しました
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自宅作業部屋(一階の和室)の洋タンスなどの断捨離作業をしていた時、5センチ長の細長い石が出てきました(写真の上部中央に置いてある石)。これは間違いなく長野県川上村の甲武信鉱山で採集した方解石です。方解石は珍しいものでは無く、甲武信鉱山をはじめあちこちの鉱山で普通に見つかる鉱物ですが、細長い方解石は珍しいので、なんとなく作業部屋の隅で生息していたものと思われます。
甲武信鉱山は珍しい水晶(日本式双晶、巨大水晶、緑水晶、両極水晶、松茸水晶、針入り水晶)が採れる産地として人気のあるところでした。水晶以外にも色々な鉱物が採集でき、それらの採集品をまとめて一つのブリキ缶に入れて保存したはずです。そのブリキ缶を探し出して、迷子状態で見つかった細長い方解石を収納しようというのが気になっていたことの内容です。
二階クロゼットに押し込んである沢山のお菓子箱の中から記憶にある黄色のブリキ缶を引っ張り出して来ました。この缶は甲武信鉱山の採集鉱物が入っているはずです。蓋を開けてみると、中は仕切りで10の区画に分けられていて、その中に方解石の区画もありました。方解石はマッチ箱をひしゃげたイメージがありますが、それは劈開したもので、お菓子箱にある方解石は自生のままの形でちょっと珍しいものです。今回出てきた細長い方解石はこの珍しい自生方解石と一緒の区画に収まり、一件落着となりました。
ちなみにブリキ缶に収まっていた他の採集鉱物は、砒鉄鉱(葉状)、灰鉄柘榴石、曹柱石、ミニ日本式双晶、灰鉄輝石、鉄へスティング閃石、べスプ石、灰重石。どれも見た目はいまいちです。この石たちはこれからどうなるほか、不安です
(上列中央の仕切りの上にあるのが今回出てきた細長い方解石。その下が方解石の収納区画。)
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共同墓地に繋がる山道を4軒の家の人が各々色々な道具を持って登って来ます。私はレーキとデルターフォーと鍬に墓石洗いの水が入ったバケツを持って登って来ました。獅子柚子のお婆さんの隣家からはその息子さんが背負式の噴霧器を背負って登って来ました。その噴霧器には3メートル近くある筒が付いています。エンジンをかけると筒の先から勢いよくエアが吹き出しました。筒先を境内に溜まっている落ち葉に向けると一瞬で境内の外まで吹き飛んで行きます。筒先を側溝に向けると側溝に溜まった落ち葉もあっという間に掻き出されました。共同部分の掃除はあっという間に終わり、各自各家の墓石の雑巾を使っての作業に入りました。
100年は続いている共同墓地の共同掃除も文明の力がいよいよ登場して、これには墓地のご先祖様もびっくりポンだとおもいます。
そのお墓掃除の最中に、隣家セットバック支援の生垣用のイヌマキの入手をお願いしていた炭焼研究会のOさんから「イヌマキの用意が出来た」との待望のメールが届きました。急遽お墓掃除が終わったら大渋滞のなか町田にトンボ帰ることにしました。
今日の中心行事は「彼岸前の共同お墓掃除の一日」ということでしょうが、気持ちの上では、そして労力の上でも「左膝処置後の軽トラ運転7時間の一日」となりました。疲れました
(写真の新兵器が登場して、共同掃除の作業内容が一変。)
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義母は、検査の結果は前回からの悪化は無いということで、その後の墓参りも晴天に恵まれ大吉の一日になりました。一方私はどうだったかというと、検査の結果は、加齢により膝軟骨が薄くなっているが骨などには問題はないということで、太い注射で溜まった水を抜き、そのあとヒアルロン酸を注入するというものでした。これで痛みが引くかどうかは分かりませんが、痛みの原因は分かったので今日一日は小凶といったところだと思いますが、春がそこまで来ている、ちょっと雪が残る晴天下の絶景の大山が見れたこともあり、小凶改め小吉の一日といたしましょう
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竹炭とヤーコンの力を信じて、そこに微力ながら私のお見舞い力を込めて、Mさん宅の玄関ポーチに段ボール箱を置いて来ました
(町田ツーリストギャラリーからは竹炭商品売り切れの電話が。しかし、Mさんへのお宅への配達を優先。)
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発注した種駒数は1000個。封を開けて駒を確かめると、まだしっかりしていて、駒打ちには問題無さそうです。
充電式ドリルに椎茸菌種専用のビットを取り付け、玉切りしたコナラの長手方向に10cm間隔、円周方向に5cm間隔で駒打ち用の穴を開けて行きます。開け終わったら、それを次工程の駒打ち工程に渡し、金槌で一つ一つ種駒を穴に打って行きます。
用意したホダ木は25本。小野路里山にはドリルのシュルシュルという音と駒を打つトントントンの音の二重奏がお昼過ぎまで響き渡りました
(小野路城山農場の椎茸種駒打ちの作業現場。手前: 穴開け工程、奥: 駒打ち工程。)
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午後雨の中、明日からの町田生活に必要なものを軽トラに積み込んで、最後に実家跡地を一回りして問題や忘れ物が無いか見回っていると、ミニ梅林の下の大量の董立ちした蕗の薹が目に留まりました。毎年立春から一週間程経った頃に芽吹きしたばかりの蕗の薹を探して早春の味覚の蕗味噌を作って味わって来ました。が、今年は体調、天候、日程など様々な要因が重なって蕗の薹の収穫のタイミングを逸してしまっています。
ダメ元で、董立ちした蕗の薹で蕗味噌を作ることにしました。
町田に持ち帰った董立ち蕗の薹は200g。旬の蕗の薹に比べると包丁で切った時の蕗の香り立ちが弱い気がします。そこで超弱火でねっとりさせて味わうことにします。ご飯の上に乗っかるのは明日の朝となります
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左膝に負荷を掛けないように少し左足を引き摺りながら実家キッチンガーデンの耕運の準備を始めました。先ずは牛糞堆肥を一輪車とレーキを使って均一に撒きます。次に苦土石灰20kgを物置長屋を運んできて、これもレーキを使って均一に撒きます。これでいよいよミニ耕運機の登場です。スイッチをオンにしてチョークを引いて、エンジン掛けロープを勢いよく引っ張りました。とその途端に右肩から悲鳴が。
この右肩の強烈でしかもなかなか引かない痛みのお陰で、キッチンガーデンほぼ全面を左足を引き摺ることなく耕運し終えました
(耕運し終わったキッチンガーデン。周辺には収穫するタイミングを逸した蕗の薹がたくさん。)
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隣家の入り口の左右に打った木杭はそれぞれ9本と10本。杭の間には4本の苗木を植え付けるので必要な苗木は植木算で32本+36本。予備2本を加えて70本を注文しました。
苗木の入荷を待つ間で出来る作業として、暫定的に形を付けた法面に土流れの防止用に竜の髭を移植することにしました。竜の髭は私の下宿農地の未開墾部に沢山あり、それを剥いで持って来て移植すれば材料費はゼロ。それを手弁当で移植します。
この作業、簡単なんですがどうも美的感覚が必要のようで、半分終わった後の感想として、先ずは法面の斜面をきちんと作るべきでした。それに植え付けの位置も均一にして、植え付ける龍の髭も均一にすれば見た目はグッと良くなったと思われます。が、繁茂してしまえば何とかなるだろうと、残り半分もこんな調子で作業を続けます
(竜の髭の移植第一弾を終えた南側法面。新道路地部に長男の重たい車が通ったと思われるわだちがついている。)
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一周忌法要の会場は従兄弟叔父の家の菩提寺。近い親族だけの法要に加えて頂きました。本堂に入ると正面に分厚い綿頭巾を被ったふっくらしたお坊さん(多分日蓮聖人)が安置されています。我が家の旦那寺のご本尊の不動明王の厳しい顔と真逆です。しかし、どちらも大慈悲の表現ということなのでしょう。
配置されている椅子の上に小冊子が載っていました。中を捲ると妙法蓮華経方便品第二と如来寿量品第十六と2つのお経が載っています。法要が始まり、御住職から「皆さんでお唱えしましょう」と声が掛かりました。ご親族の方々はこの状況に親しんでいるようで、本堂は法華経の合唱が響き始めました。私はというと、いつもの旦那寺で聴いてるお経とかなり違う雰囲気にちょっとびっくり。そんな状態で小冊子の経文を目で追っていく途中、「諸法実相」なる四文字を見つけました。これは旦那寺のお経でお馴染みの般若心経に出て来る「諸法空相」と真逆の意味のような気がします。しかしこれもどちらかが方便。仏の深遠な世界では共に真理を表しているのでしょう。
我に帰って、急いでお経の文字を追いかけました
(ご住職に卒塔婆をお願いするのを忘れてしまい、反省。)
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実家キッチンガーデンに戻って残っていた里芋の収穫も終えました。あとは草刈りと牛糞堆肥を撒けばミニ耕運機の登場となります。
一休みして、遅ればせながら毎年行って来た蕗味噌作りをしようと銀杏林に蕗の薹を採りに来ると、鈴なりの椎茸ホダ木が目に入りました。雨の日が続いたこともあって一斉に大きな傘を広げています。さてこれをどうするか。昨年の秋からの大豊作で干し椎茸は何百個も有り、干しても仕舞う所が有りません。
取り敢えず大きなのを一つ収穫して、一時帰国している姉と2人で焼いて食べながら、今後の対応を考えることにします。
蕗の薹の収穫、椎茸問題の発生で、すっかり忘れてしまいました
(左側一列は昨年春に植菌したホダ木で、収穫開始は今秋から。)
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見事、ビッグマックに歯形を残こすことが出来ました
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キッチンガーデンには昨日鹿野山の麓の牛舎で購入し運んで来た牛糞堆肥軽トラ2杯分が左右2ヶ所に山積みになっています。これを圃場全面に撒いて、町田城山農場から戻って来たミニ耕運機を使って耕運したいのですが、それにはまだ圃場に残っているジャガイモ2畝と里芋2畝を掘り上げないといけません。
ジャガイモの畝らしいところにスコップを刺してじゃがいもの探索を始めました。しかし土は昨日からの雨水をたっぷり吸っていて、ものすごい重さに感じます。掘り上げたならばその土を手でほぐし、上手く行くと中からジャガイモが泥団子状態で見つかります。
潮干狩りの様なジャガイモ掘り、延々と午後いっぱい続きました
(圃場の左右に昨日牛糞まみれになりながら運び込んだ牛糞堆肥。)
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抜歯に掛かった時間はほぼ1時間、思っていた以上に大変な治療で、抜歯するだけでも掛かり付けの糖尿病専門医の承諾を取る手続きがもとめられたことに納得しました。
前歯の治療はあと2回処置後の様子を見てもらうと一旦終了し、糖尿病指標(ヘモグロビンa1c)の値を改善出来るかどうかを見守ることになります。
これで気持ちに少し余裕ができそうなので、次の治療を始めようかと思うのですが、痛いところは肘、膝、肩、腰、指とよりどりみどり。順番が付けられない気がします
(歯科クリニックの治療室に向かうところで写真一枚。)
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